第9回 星野立子賞
各賞をクリックすると、受賞者のコメントや句集のPDFが見られます。
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現在石田波郷門に学んでいる。だが、私が俳句を始めたのは二十代の終り、星野立子の主宰誌「玉藻」が出発点である。当時立子先生は病臥の身であられたが立子門下の諸先輩との出会いが私の俳句の原点である。
この度、星野立子の名を冠とする賞を賜ることで改めて師恩の有難さをかみしめている。一方でまた、この受賞は「初心忘るべからず」という指針でもあろうかと思う。波郷門の綾部仁喜から作句の心構えとして教わった、「素の眼・素の心」はそのまま立子俳句の無垢なまなざしにも繋がる。さまざまな恩恵を胸にこれからもひと筋の俳句の道を歩み続けたい。
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おかげさまで、本新人賞の受賞を契機として、たくさんの新しい御縁をいただくことができました。そして、頂戴したその御縁によって、私はますます安心して俳句の道を歩むことができています。改めて、心より感謝申し上げます。
また、受賞によって、これまでお世話になった先生方や仲間たちに、多少の恩返しをすることができたとも思っています。俳句の賞というものは、自分のものであると同時に、お世話になった周囲の方のためであるとも思います。本当にありがたいことでした。
今後も本新人賞が、最も有力な登竜門の一つとして、若手俳人の目標となっていくことを願っています。
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星野立子新人賞は、第1回目から4回目まで挑戦していました。その後、仕事や家庭の事情で5年ほどサボっておりました。コロナが始まった2020年に私は、第1句集『火の貌』を出版するのですが、出版直前に師匠である鍵和田秞子先生が亡くなり、出版直後には18年間所属していた「未来図」が終刊となってしまいます。句会も結社も無くなり呆然としていた時に友人の勧めもあって、久しぶり星野立子新人賞に応募しました。句集は、故郷の茨城県つくば市のことを詠んだ句が多いのですが、ふと、母方の故郷である茨城県大洗町の海の景色も残しておこうと思い立ったのです。小学生の頃、両親の都合で一時期を過ごした、第二の故郷です。大洗は、東日本大震災の津波を経て新たなるリゾート地として現在も開発が進んでおります。今回の受賞作は、幼い頃の記憶と現在の交差する一つの作品として、新たな想い出となりました。