第13回 星野立子賞

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星野立子賞 石田 郷子 『万の枝』

昨年は私たちの「椋俳句会」が創刊20周年を迎えた特別な年でした。『万の枝』をまとめた時、それまでの月日を、どんなに忙しくても、またあのコロナ禍にあっても、吟行句会を中心に俳句を作り批評し合うことを怠らずに来ることが出来たのだと思い、誇りに思いました。
このたびの「星野立子賞」の受賞は、その月日をともに歩んできた仲間たちへの大きなプレゼントにもなったと思います。
お世話になりました選考委員のみなさま、事務局のみなさまに改めて御礼申し上げます。

星野立子新人賞 髙久 麻里 『遠く聞く』

この度は星野立子新人賞をいただき、誠にありがとうございました。

私は俳句甲子園の経験者でもなく、結社にも所属していません。
ある日、友人の原麻理子さんが佐藤文香さんの『俳句を遊べ!』を貸してくれたこと、
佐藤さん主宰の句会で、俳句のイメージが更新されるような句にたくさんふれたこと。
このふたつの出来事によって、俳句と出会い、そして今も続けています。

俳句をはじめて9年ほど経ちますが、めざしていることはずっと同じです。
それは、「面白い句をつくりたい」ということです。
何を面白く感じるかは年齢や環境によって変化していくと思いますが、
その時々の自分の興味・関心を大切に、俳句と関わっていきたいです。

最後に、私のようにある日いきなり俳句と出会う人や
まったく別のジャンルから俳句の世界にやって来る人が増えたら
とてもうれしいですし、そうなることを願っています。

星野立子新人賞 松田 晴貴 『眠る耳』

このたびは、星野立子新人賞受賞という大変光栄な機会をいただきまして、うれしくありつつも、いまだに信じられない思いです。
日々ご指導をいただいている山口昭男先生、秋草俳句会の皆さまに感謝を申し上げます。
私が初めて星野立子の句に触れたのは所属する結社で『立子句集』についての記事を執筆したときでした。初学の自分は「炬燵して本読んでをり時計見る」という句を見かけて、心底驚きました。この句は特別なことを言っていないながら、冬のひとりの静かな時間を的確に切り取っています。記事の執筆を続ける中で、星野立子の目の前のものを詠みながら読者に自然に感覚を共有しているところに心惹かれ、一番好きな作家になっていきました。
私はこれから俳句を続けていく中で、もし迷ったときは、立子の句に戻り、自分の感じたことを素直に表現できる作家になりたいです。

第12回 星野立子賞

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星野立子賞 山西 雅子 『雨滴』

『雨滴』の句を詠んだ十三年間は、主に生活や身辺のこと、具体的には衣食住や家の雑事、近所の海山や虫や鳥や魚、草木や花に心あたためられる時間でした。そこで俳句について私が考えましたことは、「生活の中からどのように詩を汲み上げるか」「汲み上げた詩は生活者としての私を支えてくれるのか」ということでした。
私の俳句は人生のなりゆきに従う作り方をしております。これから人生がどうなっていくのか、想像できるようですが、本当はよくわかりません。ただどうなったとしても、そのなりゆきの中での生活は続くはずですので、私の二つの問いも続くものと考えております。
あまたの名句を残された星野立子先生は憧れの人でございまして、星野立子賞はつくづく身に余る賞です。これからはこの賞を大切な重い鏡として胸の中に持ち、自らを照らしながら、またゆっくりと地道に歩んでいきたいと思います。

星野立子新人賞 加藤 右馬 『変声期』

受賞の連絡を受けた時はただ呆然としてしまい、電話越しの担当者の方に淡泊な印象を与えてしまったかもしれません。これまで新聞投稿欄等で慎ましやかに入選することはあっても、連作形式で評価して頂く機会にはなかなか恵まれませんでした。立子新人賞は私が「俳人」としての道を歩みだす確かなきっかけとなりました。

受賞作の 『変声期』というタイトルは、連作の“トーンを揃える”ことを苦手としていた私の、ある種のエクスキューズでした。しかしながら、NHK俳句やプレバト!から俳句の勉強を始めた私にとっての「幼年期の終わり」と解釈するならば、この五十句が、今後の私自身の実作の指針として大きな爪痕を残したことは言うまでもありません。

受賞式から一年以上、未だに夢を見ているかのような心地です。句座を囲んでくださった方々、これまで指導いただいた全ての方々、私を支えて下さった全ての方々に、改めて感謝申し上げたいと思います。

星野立子新人賞 野城 知里 『半睡の文字』

第12回星野立子新人賞を頂戴しましたことを、深く御礼申し上げます。日頃ご指導頂いている上野一孝先生、10代の頃から温かく見守ってくださっている梓俳句会のみなさま、言葉を通して繋がっているみなさまに心からの感謝を申し上げます。
俳句を詠むことを今日までずっと楽しく思えてきたことは、とても幸運だったのだと改めて実感いたしました。
これからの長い時間を生きていく上でさまざまな困難や変化があると思いますが、自分の感動に向き合って、読者と心を通わせられるような素直な句を詠み続けたく思っております。

第11回 星野立子賞

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星野立子賞 和田 華凛 『月華』

句集『月華』が星野立子賞という憧れの賞を賜り、心より感謝申し上げます。父、後藤立夫が他界し、諷詠四代目主宰を継承しました。
私にとっての幸運は、俳句界の皆さまとの素晴らしいご縁に恵まれていることだと思います。
この句集の題としました『月華』は月光のことです。俳句の道に迷いそうになった時には、月を見上げると先師や先人たちの声が聞こえ、道を照らしてくれるように思います。
選者の先生方からのお言葉は全て学びとなり、私の俳句人生の指針となりました。授賞式でお会いすることを楽しみにしていた黒田杏子先生の突然の訃報には涙がとまりませんでした。先生への感謝を忘れることなく、これからも精進してまいりたいと思っております。

星野立子新人賞 千野 千佳 『したがふ』

わたしが星野立子新人賞を受賞したのは2023年3月でした。2021年5月に子供を産み、受賞したとき子供は1歳でした。子供を産んだあとに産後うつのようなものになり、俳句が作れなくなりました。産後4ヶ月くらいから徐々に回復して、この頃から自然を美しいと思うようになりました。子供をベビーカーに乗せて散歩をしていると俳句がつぎつぎに浮かんできて楽しかったです。受賞式の壇上で「1日に10句作っています」と話したとき、初対面の宮坂静生さんが大きな声で「いいぞ!」とおっしゃってくださったことが印象に残っています。俳句の世界にわたしを導いてくださった「蒼海」の堀本裕樹主宰、楽しい句座をともにしてくださる素敵な句友のみなさまに、あらためて感謝いたします。

星野立子新人賞 鈴木 総史 『雨の予感』

この度は、第11回星野立子新人賞を受賞することができ、大変嬉しく思います。審査をしてくださった先生方、上廣倫理財団の皆様に感謝申し上げます。また、所属する群青で日々ご指導いただいている櫂未知子先生、佐藤郁良先生、それから雪華の橋本喜夫先生にこの場を借りて感謝申し上げます。
大学1年生の時に、群青へ入会しました。そこには、素晴らしい同期や後輩、先輩方が多くいました。学生時代、特に俳句賞の場では悔しい思いばかりでした。
自身の大きな転機は、北海道の旭川に赴任したことです。都会の喧騒から離れ、心に余裕を持って俳句に取り組むことができました。今回の「雨の予感」50句も、北海道の自然が生んでくれた連作です。その連作が評価をいただけたこと、大変嬉しく思います。
改めまして、星野立子先生の名を冠する栄誉ある賞をいただき、ありがとうございました。今後も支えてくれる方々への感謝を忘れずに、頑張ります。

第10回 星野立子賞

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星野立子賞 井上 弘美 『夜須礼』

私が「星野立子賞」を頂いたのは第十回の節目で、コロナ下で授賞式が無かったこともあって、選考委員の先生方の講評を胸に沁みる思いで、ありがたく拝読した。
それから三年を経て思うことは、「星野立子」という時代を超えて屹立する俳人に、大きく背中を支えられているという実感だ。とりわけ晩年の立子が、大病による後遺症をおして、左手のみで筆を執ったという、毅然たる姿に姿勢を糺される。俳句と共に生きるとはどういう事か、立子が身をもって教えている。立子に背中を支えられつつ、一方で覚悟を問われる思いだ。
選考委員のお一人であった黒田杏子先生が急逝されて、第十二回からは選考に携わることになった。心して選考に当たることはもちろん、受賞者の一人としても、「星野立子賞」の名を汚さぬようにとの思いは、ますます深い。

星野立子新人賞 西山 ゆり子 『ペダル』

応募作品は台所のテーブルで完成させました。
新型コロナウイルス蔓延で職場の業績が傾き、ダブルワークで凌いでいた時期。帰れば2人の子どもがいて静寂がありません。本来パソコンを置くべきデスクは、本やらガラクタやらにあっという間に埋もれてしまいました。この波に呑まれるものかと、投稿作品を書いては消しました。
賞に挑戦することは、自選の目を鍛え直す修行であると思っています。修行が苦行になりそうな時は、立子句の「囀をこぼさじと抱く大樹かな」を眺めて肩の力を抜きました。
受賞の報せを受けたのは、西日がさす駅のホーム。興奮しすぎてスマホに何度も頭を下げ、何人もの人を振り向かせてしまいました。受賞は、ここからまた新たな修行という、立子の大樹からの声だと感じています。師と、叱咤激励を下さる多くの方と、賞への感謝を忘れずに、これからも俳句に挑戦していきたいと思います。

星野立子新人賞 北杜 駿 『はだけゆく』

このような素晴らしい賞を頂きまして、選考委員の皆さま、俳誌『森の座』の諸先輩方や日頃から切磋琢磨して句を学びあっている句友たちに深く感謝いたします。
コロナ禍という未曽有の災難の中での受賞でした。俳句というものが唯一の拠り所で、余った時間を句作に励み、俳論を読みふける毎日でした。そんな中での受賞の知らせでしたので、喜びに胸が震えました。
また、受賞の知らせを受けたときには、その翌月に、結婚を機に山梨へ移住を予定していましたので、どこか俳句の神様に祝福されているような心持ちがしました。
今受賞の50句を読み返してみると、まだまだ未熟さ故の拙い句が多く、この句群が残ってしまうとなるととても恥ずかしい限りです。この賞に慢心せず、日々の精進を忘れずに「文学と芸の融合」・「真・善・美の追求」を目指していきたいと思います。

第9回 星野立子賞

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星野立子賞 藤本 美和子 『冬泉』

現在石田波郷門に学んでいる。だが、私が俳句を始めたのは二十代の終り、星野立子の主宰誌「玉藻」が出発点である。当時立子先生は病臥の身であられたが立子門下の諸先輩との出会いが私の俳句の原点である。
この度、星野立子の名を冠とする賞を賜ることで改めて師恩の有難さをかみしめている。一方でまた、この受賞は「初心忘るべからず」という指針でもあろうかと思う。波郷門の綾部仁喜から作句の心構えとして教わった、「素の眼・素の心」はそのまま立子俳句の無垢なまなざしにも繋がる。さまざまな恩恵を胸にこれからもひと筋の俳句の道を歩み続けたい。

星野立子新人賞 吉田 哲二 『鍔焦がす』

おかげさまで、本新人賞の受賞を契機として、たくさんの新しい御縁をいただくことができました。そして、頂戴したその御縁によって、私はますます安心して俳句の道を歩むことができています。改めて、心より感謝申し上げます。
また、受賞によって、これまでお世話になった先生方や仲間たちに、多少の恩返しをすることができたとも思っています。俳句の賞というものは、自分のものであると同時に、お世話になった周囲の方のためであるとも思います。本当にありがたいことでした。
今後も本新人賞が、最も有力な登竜門の一つとして、若手俳人の目標となっていくことを願っています。

星野立子新人賞 篠崎 央子 『家伝』

星野立子新人賞は、第1回目から4回目まで挑戦していました。その後、仕事や家庭の事情で5年ほどサボっておりました。コロナが始まった2020年に私は、第1句集『火の貌』を出版するのですが、出版直前に師匠である鍵和田秞子先生が亡くなり、出版直後には18年間所属していた「未来図」が終刊となってしまいます。句会も結社も無くなり呆然としていた時に友人の勧めもあって、久しぶり星野立子新人賞に応募しました。句集は、故郷の茨城県つくば市のことを詠んだ句が多いのですが、ふと、母方の故郷である茨城県大洗町の海の景色も残しておこうと思い立ったのです。小学生の頃、両親の都合で一時期を過ごした、第二の故郷です。大洗は、東日本大震災の津波を経て新たなるリゾート地として現在も開発が進んでおります。今回の受賞作は、幼い頃の記憶と現在の交差する一つの作品として、新たな想い出となりました。

第8回 星野立子賞

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星野立子賞 小林 貴子 『黄金分割』

昃れば春水の心あともどり 星野立子
早春の頃、日当りと日陰では体感温度がかなり異なります。誰もが知る感覚ですが、この句の措辞は独創的です。『ホトトギス雑詠句評会抄』において中村草田男は「心を春水の全面に打被せ、春水の晴陰と共に心も晴陰すると云う趣がある」と評しており、私も共感します。そして、この句も入集する第一句集『立子句集』の序に、高浜虚子は「写生といふ道をたどつて来た私はさらに写生の道を立子の句から教はつたと感ずることもあつたのである。それは写生の目といふことではなくて写生の心といふ点であつた」と記しています。掲句はまさにその「写生の心」を生かして作られています。つまり、立子は見えるものを見えるように客観写生したのではなく、目には見えない体感を「写生の心」によって表現し得たのです。私もこの「写生の心」を身につけたいと思います。

星野立子新人賞 伊藤 麻美 『眼光』

受賞の報せをいただいた時の驚きと喜びは今でも忘れられません。自分の中の何かが崩れ去り、それに替わる何かが立ち上がった事を確信しました。所属している『泉』の藤本美和子先生をはじめ、結社の皆様、句友の皆様、周囲の皆様に、助けられたり、励まされたり、時には叱られながらゆっくりと俳句の道を歩んで来ましたが、これからはもっと学びの速度を上げなければと新たな覚悟が生まれました。世の中では次々に新しい言葉が生まれ、本来とは意味が変わってゆく言葉も沢山あります。それらを柔軟に受け入れながら、揺らがず、季語を信じて、饒舌になり過ぎない俳句を作ってゆく事が目標です。走り続ける為に、自分で自分にせっせと石炭を焚べて、どんな未来でも恐れずに進んでゆきます。
選考委員の先生方、上廣倫理財団の皆様、このような素晴らしい賞を賜り、まことにありがとうございました。

星野立子新人賞 板倉 ケンタ 『時に花』

星野立子新人賞を頂戴したのはこの文章を書いている六年前、私が二十歳の時である。なので受賞当時のことを当時の鮮度で書くことは難しいが、今改めて感じていることは、立子賞関係で多くの人と繫がることができたということだ。歴代の新人賞受賞者とは句会で繫がっており、またそのご縁で星野椿先生とも句会をご一緒させて頂けるようになった。これは本当にありがたい事と思う。
日頃お世話になっている「群青」「南風」の先生方・諸先輩方や、結社を超えてお世話になっている句友の皆様のご指導がなければこの受賞はあり得なかった。句友の皆様や選者・財団の皆様への感謝、そして受賞そのものへの感謝を今一度嚙みしめ、今後も俳句活動に邁進したい。

第7回 星野立子賞

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星野立子賞 対中 いずみ 『水瓶』

この度は第7回星野立子賞をいただき誠にありがとうございます。
温かいお言葉も厳しいお言葉もすべてを胸に刻んで今後の精進の糧とささえていただきたいと思います。講評の最後に星野椿先生が「母も喜んでいるものと思います」とおっしゃって下さったお言葉を本当に嬉しく感じました。
私は星野立子さんという俳人が好きです。星野立子作品を詠みながら感じる新鮮さ、みずみずしさ、時代を経ても共感を得られる感性というものを探究しながら、今日いただいたお言葉を励みに一句一句創作してまいります。

星野立子新人賞 小野 あらた 『去りぎは』

私は俳句の賞を受賞する時はこの賞に何のために受賞するのか。そして、賞を受賞した後に何を自分がしたいのか、そのことを考えて応募します。自分では才能のない俳人だと思っていますので、相応の努力が必要だと感じています。だからこそ賞を受賞することを目指し、努力による勝利ということをスローガンにしています。努力によって得た賞であれば、他の周囲の人たちにとっても手本になれるように思います。その姿勢で今後も頑張ります。

星野立子新人賞 冨士原 志奈 『聖五月の懺悔』

常日頃、西村和子先生、行方克巳先生から自分らしい句、今しか作れない句を作りなさいと御指導頂いております。今回まとめた50句は、その両先生の御言葉を胸に作ったものでした。50句の中には、その背景を今、思い出しても胸が張り裂けそうな想いがするものもありますが、今はそのような句を含め、この50句を評価して頂き、大変嬉しく思っております。
これからも両先生のお言葉を大事にし、自分らしい句、今しか作れない句を作り続けて参りたく存じます。

第6回 星野立子賞

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星野立子賞 瀬戸内 寂聴 『ひとり』

俳句は読むのは好きですが、およそ自分が俳句を作るとは思ってもおりませんでした。ですから、このように俳句で受賞するなんて思ってもみませんでした。
今、私は95歳ですが、95歳にもなってこんなに嬉しいことがあるとは予想も出来ませんでした。まだ、現実のこととして受け止められずにおります。でも、先程から選者の皆様のお話を伺って、「そうか、そうか、」とようやく納得するようになりました。この授賞式で選者の先生方の講評をお聞きして、何か自分のいただいた受賞の会ではないような気持ちがしていて、とても面白くて、夢中で聞かせていただきました。
今の若い方の新しい俳句も随分と読んでいます。本当にどこまで伸びるか分からない日本の文学だと思います。外国の人も随分と俳句を作っているように聞いておりますし、これは世界にまでまだまだ拡がっていく文学ではないでしょうか。
立子先生には1回しかお目にかかっておりませんが、初めて会った名も知らぬような後輩に、あれほど優しく、豊かな愛情を注いで下さった立子先生のことを、私は見習おうと思って、その後、人に会うときにはずっと真似をしていますけれども、なかなか上手くいきません。今回、その立子先生のお名前を冠した星野立子賞をいただく運びになって、ビックリ仰天して、改めて立子先生の俳句を一生懸命に拝見しました。それほど難しい言葉を使ったり、特別な表現をしている訳ではない何気ない句なのですが、それが一度俳句になるとずっと心に残るんです。人物そのもの、お心そのものが俳諧の世界に溶け込んでいるような感じがします。
いつもは「おめでとう」という立場で表彰式を過ごすのですが、今日は東京九段の桜満開のよき日に、多くの方々に御参集いただき、この晴れの受賞の式で、沢山のお祝いまでいただき、本当にありがとうございました。

星野立子新人賞 古川 朋子 『下睫毛』

この度は星野立子新人賞をいただきまして、誠にありがとうございました。
いつもはのんびりした生活をしていて、どちらかというと家に篭ったような暮らしをしています。今日は春らしい日に華やかな場にでてきてしまって、恐縮しています。
俳句はやっぱり自分が見たもの、聞いたもの、体験したことなどをもとに書いております。ことさら自分の住んでいる所とか生まれた町を詠んでいるわけではないのですが、善くも悪くも自分らしくいられる町での暮らしというものが私の俳句の中にはもしかしたら入っているのかもしれないなと今回50句をまとめながら感じました。
思い返せば子どもの頃から飽きっぽくて熱しやすく冷めやすい自分で、何か夢中になってやる体験があまりないまま大人になってしまいました。俳句と出会って7年が経過しますが、自分の人生の中でこのような賞をいただくことがあるなんて夢にも思っておりませんでした。今回受賞をいただいたのは、これまで自分がやってきたことを評価して頂いたと思っております。そして、これから次の新しい1句を生み出すために背中を押していただいたような気持ちでおります。そのことに一番感謝しております。

星野立子新人賞 小山 玄黙 『雲と父』

この度は栄えある賞を頂戴しまして誠に光栄でございます。
日頃、所属している群青で力強く引っ張って下さっている櫂未知子先生、佐藤郁良先生、それから大学の俳句会でご指導下さる行方克巳先生、西村和子先生にも改めてこの場を借りて感謝申し上げます。いつもありがとうございます。
昨年、父がオーストラリアに赴任したため、母と妹も一緒についていきました。それ以来、色々と家族との事は思い出す事もあり、今回応募しました作品には家族との暮らしを想いながら50句をまとめさせていただきました。もちろん、今までずっと20年間家族に育ててもらったことには感謝したいと思いますけれども、この20歳という年齢を境に一人にしてくれたことにも感謝したいと思います。星野立子先生とそれからその後に続く俳句の歴史に想いを馳せながら一日過ごしたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

第5回 星野立子賞

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星野立子賞 駒木根 淳子 『夜の森』

この度は星野立子賞という栄えある賞を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。高浜虚子は俳句は日常の相聞であると提唱しました。この日常の相聞の精神を継承し、実践したのが立子俳句であると私は思っております。相聞とは安否を問う事と広辞苑にはあります。私自身が日常の相聞を強く意識したのは、極めて非日常的な東日本大震災、原発事故でした。
震災から6年が過ぎました。表面的には震災前の日常を取り戻したかに見えます。しかし、先日も強い余震がありました。
夜の森は家族の句も多く、また原子力発電所に深いかかわりもあったことから出版をためらう気持ちが強くありましたが、こうして受賞することができ、今は本当によかったと思っております。困難な時も私を支えて下さった山下千寿子代表はじめ、リンに集う仲間たちと共に研鑽を重ね、日常の相聞を俳句として詠んでいきたいと思います。本日は誠にありがとうございました。

星野立子新人賞 秋山 夢 『朝な夕な』

今回は素晴らしい賞をいただき、感謝いたします。今回は新人賞なのですが、実は10年程まえに句集を出版させていただいております。そのあとがきに「世界は自分の外にある」ということ書きました。
今は、世界は外にあるけれども、自分の内にもあるということを感じるようになりました。実は外も内もないのではないか。そこを分ける壁みたいなものはないんだなと今回50句を纏める中で感じました。俳句を詠む時に、その内と外の壁がないか、すごく薄い方が星野立子さんなんだろうと改めて感じます。そのような星野立子さんの名前のついた賞をいただけたことを嬉しく思います。

星野立子新人賞 金澤 諒和 『静かな器』

この度は身に余る賞をいただきまして誠にありがとうございました。小学校の教諭をしておりますが、学校の方でも管理職から俳句倶楽部をつくっていただき、僭越ながら子どもたちに俳句、短歌の指導を行っております。子どもたちはとても素直で、感性の鋭い句を次々に作って私の所に持ってきてくれるので、常に子どもたちの鋭い感覚にふれて私自身の感性も磨かれたと思っております。そのことが今回の受賞に結びついたのではないかと感じております。これからも子どもたちと俳句をつくっていきたいと思っています。

第4回 星野立子賞

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星野立子賞 藺草 慶子 『櫻翳』

大好きな千鳥ヶ淵の桜が咲きはじめたこの季節、この場所で、尊敬する星野立子の名前を冠する賞をいただくことができて大変光栄です。 1週間程前、鎌倉の立子のお墓にお参りしてきました。私は、立子のように天才タイプの作家ではありません。でも、誰に言っても羨ましく思われることが一つあります。それは俳句に関するご縁です。20代では山口青邨先生、黒田杏子先生、斎藤夏風先生、古舘曹人先生との出会いがあり、初学の頃から結社をはじめ、木の椅子句会、ビギンザテンなどで学ぶことができました。30代からは、今「星の木」でご一緒している大木あまりさん、石田郷子さん、山西雅子さん。そして深見けん二先生、八田木枯さんなど、たくさんのご縁に恵まれました。多くのご縁とご恩に心から感謝しております。
前の句集から13年。この間は、家族や自分の入院、手術、介護などが重なった苦しい時期でもありました。また、平成23年には東日本大震災がありました。衝撃でした。一瞬にして全てがなくなってしまうことを観念ではなく実感しました。何より自分の無力さと言葉について考えさせられた出来事でした。もう一度句集を出したかった、とその時思いました。
今回の句集のあとがきに「言葉はどこまで届くのだろう」と書きました。拙い私の俳句、そのかそけき声を聞きとめ、受け止めて下さった審査員の先生方に改めて御礼申し上げます。立子賞の名に恥じないよう、精進して参ります。誠にありがとうございました。

星野立子新人賞 大西 朋 『初筑波』

この度は第4回星野立子新人賞にお選びいただき、選考委員の方々及び上廣倫理財団の皆様に深く感謝申し上げます。
受賞作品のタイトル「初筑波」にありますように、現在筑波で生活しております。俳句をはじめて、季語の現場をより知りたいと思い、貸し農園で7年前から野菜作りを始めました。それが高じて、今度は畑付きの一軒家を借りました。
種を蒔き、苗を植え、作物が育つとその度に根が土をほぐし、蚯蚓が増えて土を柔らかくしてくれます。初めに借りた貸し農園の土は農家のおじさんが手入れされていたので本当に美しい土でした。それがどれだけ大変なことであるのか、今、身をもって経験している途中です。
私の俳句はまだまだですが、農家のおじさんが作る柔らかくて温かな土、日と水の匂いがするような自然詠、さらには星野立子のように平明でありながら、未来が明るく輝くような俳句を目指して参りたいと思います。
最後に「鷹」の小川軽舟主宰、句友の皆様に心より感謝申し上げます。本日はありがとうございました。

星野立子新人賞 涼野 海音 『手毬つく』

この度は、第4回星野立子新人賞を受賞いたしまして、まずは所属結社「火星」「晨」「草藏」の方々、そして家族に感謝したいと思います。
今回の応募句が一定の評価を受けたことは、私自身にとりまして大変大きな励ましとなりました。私自身の俳句の詠み方は、季語の現場に出て対象とじっくり向き合い、どう感じたか、どう見えたかということを的確に詠むという方法です。季語と向き合うことは、季語を通して私自身と向き合うことだと直感いたしました。たとえ、私の句が他者に平凡だと思われても、この原点を見失うことなく、堂々と自分の句を詠んでいきたく思います。
今回の受賞を契機に、今まで以上に俳句を主体的に学ぶ意志を、もちたいと思いました。今日はどうもありがとうございました。

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